私が「私」にたどり着くまで。前編。

ねばーえんでぃんぐしごと

我ながら変なタイトル笑

トークライブを12/3(日)に控えて、私が「今の私」になるまでの道のりを振り返っています。

2013年、4年前に起業するまでの経緯は「私の起業ものがたり」で描きました。

私の起業ものがたり

いばらの道とは知らず、どんどん歩いていった訳ですが…
最初の1,2年間は鳴かず飛ばずだったと思います。
今思うと、単に種蒔きの時期だっただけですが、当時は仕事が少なくて焦って焦って(;^_^A
娘も体調を崩しがちで、私が娘の看病を担当していたら、二人して肺炎までいった思い出。
そのときは娘が病気になったときの分担を、あらためて夫と話し合ったタイミング。

3年目あたりから、少しずつご縁が実を結んで忙しくなり始め…
お客さまの都合を第一にしていたら、まとまった休みが取れない事態になり、
年1で帰っていたふるさとに、3年位帰ってませんでした。
帰省したときの話。

自分で「できない」って決めつけるのをやめた。

仕事が面白いほど成長していくのを見て、楽しかった反面
当時、かなり私は私にがんじがらめで。

仕事をするからには、お客さまの要望には早急に応えるべき。
仕事を断ったら、もう二度と仕事が来ないかもしれない。
家族に貢献するためにも、仕事も家事も育児もしっかりやる。
母親なんだから、仕事しながらも家事や育児の手を抜いてはいけない。
家族には体にいいものを食べさせないといけないから、極力手づくりの料理を。

などなど恐ろしいほどのマイルールが勝手に存在して、
気が付けば24時間365日、夢のなかですら何かに追われているような状態で、心が安らぐ時間が減っていきました。

家で仕事してたら、どこかで線引きしないとドンドン追いつめられていくだけで
正直、もうどこかに働きに出た方がオンオフの境がはっきりして休めるのにな〜なんて思ってました。
自由なはずのフリーランスなのに、全然自由じゃなくて、苦しくてたまりませんでした。

ねばーえんでぃんぐしごと
2015年頃の私。全然終わりが見えなかったっぽい。

私は「私」をないがしろにし続けてました。
休みたい、って本当は思っているのに、無視して走り続けました。
去年は家を建てて引越しもしたので、大分体と心に無理をさせました。

仕事の仕方を変えないと、自分がおかしくなる。
そう思ったのは、引越しが終わってしばらく経った頃。

ちょっとしたことで自分の母親と言い争いになり、どこかの女性議員並に電話で切れまくった私。
やばい、私やばいぞ。自分が全然コントロールできない。
母とはなぜか、そこから関係的には良くなったのですが(本音で話したせいか)
「そんな生き方してたら、いつか壊れちゃうよ」と言われる始末。

そうだよなあ…
でも一体どうすればいいんだろう…
家で仕事をすることに関しては、好きだし向いてると思うから
内容を変えればいいのかなあ…

などなど、頭でぐるぐる考える日々が2016年の末。
自分で自分がわかってないという自覚はあるけど、どうも空回りしてる感。

自分のことを一番わかってないのは自分?

やっと、しなければにがんじがらめになっている自分に気がついてきたクリスマス

「少女からのクリスマスプレゼント」を受け取りに。

何だか長過ぎるので、後編に続きます…
https://designspica.info/2017/11/iam/