ふるさとのこと、子どもだったときのこと。

以前、県内の女性起業家としてインタビューを受けたときに
「ご両親が起業されていたりしませんでしたか?」
という質問を受けたときがありました。

母親は自営業で、今も現役で働いています。

そんな母親の姿を小学生位から見ているので「自営は大変だ」と思いつつも
「私にできるかどうか」という視点から見ると、
母が自営で働いている姿を見つつ育った私の、精神的ハードルは低かったのかもと思いました。

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母は私が3歳位のときにシングルになりました。
そして祖父母と暮らすようになり、私が年中の年に、長く暮らすことになる家に引っ越しました。

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母はシングルになってから、手に職を付けるため、毎晩遅くまで働きました。
私が眠る前に帰ってくる日はまれで、朝食のひとときがやっと顔を合わせるとき。
私にとっては、祖父母が父親と母親のような存在でした。

私の境遇を聞くと「かわいそう」とか「よくグレなかったね」と言う人もいました。

でも私は全然かわいそうでもなかったし
母とはなかなか会えなかったけど、母が私を想ってくれていたのは知っていたので
寂しいと思ったことはあまりありません。祖父母がいてくれたおかげかもしれません。

祖父が自転車の乗り方を教えてくれて、乗れるようになった後は一緒に自転車でどこまでも行ったこと。
祖母は料理が上手くて、グラタンやオムライスなどの洋食から、揚げ出し豆腐や煮魚など和食も得意でした。

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今になって思い返すと、私にとっては家族以外にも
ふるさとの自然や、地域のやさしい人達が、私の側にいてくれたから
何も足りないとは思ってなかったのだと思います。

「赤毛のアン」が好きで、本が好きで空想ばかりしていて
絵を描いたりお話を考えることが好きで
友達とごっこ遊びをしたり、本を作ったり、マンガの話をしたり

手作りが好きで、お菓子を作ったり、編み物をしたり
動物も好きで、犬や猫を飼っていたり

ふと寝転べば、空の雲がゆっくりと動いていること。地球って回ってるんだって思ったり
野の草花を摘んで、川とも言えない水の流れに浮かべたり
どこまでも続く蟻の行列をずっと追いかけたり
蝶を捕まえて宝箱に入れたら、粉々になってしまってショックを受けたり

私は見たこともない「外の世界」に想いを馳せつつも
とんでもなく満たされていました。

そうそう、私はとんでもなく幸せな子どもでした

私は今、そのときの自分みたいになりたいな、なんて望んでいます。

私ひとりが娘に何を残せるか、伝えられることはあるかっていうと、多分そんなになくて
娘にそんな環境を提供することしかないのかなって、最近思ったりします。

豊かな自然と、信頼できる周りの人達。

それがあったら充分かなって。
私は大それた大人にはならなかったけど、子ども時代に幸せな時間を過ごせたことに感謝して
これから娘にバトンを引き継げたらいいなと、思います。