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私は「ストレンジャー」で構わないと思えるように

川辺の日の当たった植物

I’m a stranger here.

という文章を学校で習った気がするんだけど、どうもいつでもどこでも私はストレンジャーだなあと腑に落ちながら、当時この言葉を憶えた気がする。

川の水面

小学校のときは「クラスのなかで唯一◯◯な人」になりがちだった。

当時の属性がどうにもマニアックだった。
・一人っ子
・アトピー
・アレルギー持ちで牛乳飲まない
・極度の運動音痴
・近眼(授業中眼鏡)
・授業中に貧血起こす
・親がシングル

川辺の日の当たった植物

今、思うとよくイジメなどに遭わなかったなあと思うんだけど
どうも周りの友達やクラスメイト、先生や大人達に恵まれていたらしく、マニアックな属性のおかげで他人から嫌な想いをさせられたという記憶がほぼほぼない。
(そういや、親がシングルだと子どもがかわいそうだと勝手に思い込んでる大人がいて、それはショックだったけど。全然自分がかわいそうとは思ってなかったから)

だからなのか、何なのか

私は自分がちょっと変だな、とは思っていたけど、それに対して否定的な気持ちがない。
よそはよそ、自分は自分。
背が高い人がいて、低い人がいて、当たり前のように。

私が人と違っていても、だから何だろう。位の感じでいた。

だから違うことに対して拒否反応を示す人の気持ちは、あんまりよくわからない。

川辺の植物

でもまあ「クラスでひとり」ってことは割と変わってるんだろうなとは感じていて。
どこにいても、誰といても、いつでも
私はどこか他の所から来た旅行者みたいな気分でいた。

それは環境とか、自分の属性のせいじゃないのかもしれない。
私のもともとの気質なのかもしれない。
家のなかにいても、私と家族とは考え方が全く違っていたから。

家のなかにいても、学校にいても
どうして私みたいな人はいないのかなって、ずっと思っていた。

だけど、家を出るまで、生まれ育った土地を離れるまで
自分がいかに狭い世界で生きてきたのかを、私は知らなくて。
大学に行ったら、私みたいなのがゴロゴロしてた上に、更に上をいく尖りっぷりでかなり劣等感を感じたのを憶えてる。
それまでの私が、周りに合わせて自分を狭めていたのに、そこでやっと気がついた。

閉じられた学校や、狭い地域性が、少し息苦しく感じるのは、自分がどこまでも自由だと感じにくいからかもしれない。

誰もがきっと、それぞれのストレンジャーで。
誰の目も気にせず、自分で自分を自由にしていいんだと思う。
もっともっと尖って。もっともっと笑って。

私自身もそうありたいし
他の誰かを自由にできることがあるなら、それが私のミッションなのかなあって、最近よく感じます。