人間誰でも同じ悩みを抱えているのかもしれませんが
「どうやったら私はしあわせになれるのだろうか」
というようなことを、私は延々と考えながら生活しているような気がします。
何かを得れば、しあわせになれるのかな。
何かを成し遂げれば、しあわせになれるのかな。
何者かになれば、しあわせになれるのかな。
そんなことを思いながらがんばってきたけど
それはどこまで行っても苦しい道で。
自分以外の何かに、自分のしあわせを委ねたところで、自分の影と追いかけっこしているみたいで終わりがない。
だとしたら「それをしているだけで自分はしあわせだ」ということをするしかないよな。
どんな結果が待っていようが
周囲にどんな反応をされようが
その過程を「しあわせだ」と感じるようなことをするしかない。
そんなことをお正月はダラダラしながらぼんやり考えて。
だとしたら、一体何に対して自分は「しあわせ」だと感じているのか。
「幸福感度」みたいなものが大事だぞ。
そんなとき、ドミニック・ローホーさんの「ゆたかな人生が始まるシンプルリスト」という本が、かなり参考になりました。
自分の考えていること、感じていること、嗜好などに対するリストを作ってみては?
と様々なお題を提供してくれるこの一冊。
リストの項目だけでもかなりの数で、このための専用のノートを用意して、項目を目次にするところから始めました。
(それだけでも数ページ使って、割と疲れました(;^_^A)
目次を作ってからは、気になるリストから作成。
自分の「幸せのレシピ」=「自分の五感を意識した幸せの瞬間リスト」を書き出していきます。
例えば…
- ふかふかのじゅうたんの上を裸足で歩く
- 雪降る露天風呂につかる
- 起きがけに漂う焼きたてのパンとコーヒーの香り
など、ローホーさんが上げてくれているサンプルは
確かに触覚や嗅覚などの五感で感じられるものばかりで、他人の私でも、文字を追っているだけでその体験を想起させるもの。
そうかー もしかしたら私は、今まで頭でっかちにしあわせを捉えていたばかりに
日常の自分の、特にしあわせに対する感受性を信じてなかったのかもしれない。
私もいくつか気づいた、私の「幸せのレシピ」
そのなかのひとつが
晴れやかな富士山の姿を見ること。
朝、昼、晩。
春、夏、秋、冬。
その日の、その瞬間の富士山って、そのときだけだなーってあらためて気づいて。
どんなときの富士山が好きなんだろう。
どんな姿の、どんな色合いの、どんな光を帯びた富士山が好きなんだろう。
そんなことを思いながら、最近はよく富士山を眺めています。
今まで私が「しあわせ」を追っかけ続けていたのは
自分の幸福を感じる力や感性を信じていなかったんだなあ。
それに気づいてからは、しあわせだと感じることに
耳を澄ませ、目を凝らし、鼻をクンクン、肌に触れる空気にもアンテナを立てて
ハッとしたときにスマホにメモを取っています。
なーんだ。結構、私、普通に普段からしあわせだな。
と感じることが多くて、拍子抜けする位。
最後のピースは、やっぱり自分自身でしかなかったのでした。