9月に絵本の個展を開催予定です

しあわせに気づけない理由が分かった気がする:「シンプルリスト」という本

シンプルリスト

人間誰でも同じ悩みを抱えているのかもしれませんが

「どうやったら私はしあわせになれるのだろうか」

というようなことを、私は延々と考えながら生活しているような気がします。

何かを得れば、しあわせになれるのかな。
何かを成し遂げれば、しあわせになれるのかな。
何者かになれば、しあわせになれるのかな。

そんなことを思いながらがんばってきたけど
それはどこまで行っても苦しい道で。

自分以外の何かに、自分のしあわせを委ねたところで、自分の影と追いかけっこしているみたいで終わりがない。

だとしたら「それをしているだけで自分はしあわせだ」ということをするしかないよな。

どんな結果が待っていようが
周囲にどんな反応をされようが
その過程を「しあわせだ」と感じるようなことをするしかない。

そんなことをお正月はダラダラしながらぼんやり考えて。

だとしたら、一体何に対して自分は「しあわせ」だと感じているのか。
「幸福感度」みたいなものが大事だぞ。

シンプルリスト

そんなとき、ドミニック・ローホーさんの「ゆたかな人生が始まるシンプルリスト」という本が、かなり参考になりました。

自分の考えていること、感じていること、嗜好などに対するリストを作ってみては?
と様々なお題を提供してくれるこの一冊。
リストの項目だけでもかなりの数で、このための専用のノートを用意して、項目を目次にするところから始めました。
(それだけでも数ページ使って、割と疲れました(;^_^A)

目次を作ってからは、気になるリストから作成。
自分の「幸せのレシピ」=「自分の五感を意識した幸せの瞬間リスト」を書き出していきます。
例えば…

  • ふかふかのじゅうたんの上を裸足で歩く
  • 雪降る露天風呂につかる
  • 起きがけに漂う焼きたてのパンとコーヒーの香り

など、ローホーさんが上げてくれているサンプルは
確かに触覚や嗅覚などの五感で感じられるものばかりで、他人の私でも、文字を追っているだけでその体験を想起させるもの。

そうかー もしかしたら私は、今まで頭でっかちにしあわせを捉えていたばかりに
日常の自分の、特にしあわせに対する感受性を信じてなかったのかもしれない。

私もいくつか気づいた、私の「幸せのレシピ」

富士市からみた富士山

そのなかのひとつが
晴れやかな富士山の姿を見ること。
朝、昼、晩。
春、夏、秋、冬。
その日の、その瞬間の富士山って、そのときだけだなーってあらためて気づいて。

どんなときの富士山が好きなんだろう。
どんな姿の、どんな色合いの、どんな光を帯びた富士山が好きなんだろう。

そんなことを思いながら、最近はよく富士山を眺めています。

今まで私が「しあわせ」を追っかけ続けていたのは
自分の幸福を感じる力や感性を信じていなかったんだなあ。

それに気づいてからは、しあわせだと感じることに
耳を澄ませ、目を凝らし、鼻をクンクン、肌に触れる空気にもアンテナを立てて
ハッとしたときにスマホにメモを取っています。

なーんだ。結構、私、普通に普段からしあわせだな。

と感じることが多くて、拍子抜けする位。
最後のピースは、やっぱり自分自身でしかなかったのでした。